そろそろ桜の季節も近づいてきました。進級・進学を控えた皆さんは不安もあるかもしれませんが気分は浮き立っていることでしょう。
生徒の皆さんから時々「こんなこと勉強して将来役に立つの?」と聞かれることがあります。中学・高校で学ぶ知識がそのまま将来役立つかといえば、役立つ局面はそれほど多くないというのが正直のところです。成人して三平方や因数分解を常的に使う人はほとんどいないでしょうし、英語でさえ使わない人の方が多いでしょう。将来役立たない可能性が高い事柄をなぜ熱心に学習しなければならないのか、無駄ではないか、という不平不満は意味のないことではないと思います。
短期的に考えれば「受験に必要だから」「内申を上げておかないと良い進学ができないから」という理由だけでも十分なのでしょうが、それでは身も蓋もなさすぎてつまらないですよね。将来楽をするために現在苦しい思いで頑張る、というのはそれなりにリアリティはあるでしょうが、行きすぎると「安定した老後のために一生あくせく苦しむ」みたいな夢のない話になってしまいます。
勉強するにあたって、全てに恵まれた人というのは極めて少数だと思います。ほとんどの人は知識の不足、記憶力の弱さ、論理的思考に不慣れ、など、苦手分野・弱点を持っています。他にも、計画を立てて物事をこなすのが苦手、とか、目先の楽なことに逃避しがち、とか、本番の勝負であがってしまって力が出せない、など知的能力以外の弱点があったりして学力の向上を妨げます。
勉強とは、弱点だらけの私たちが弱点を意識して克服したり、逆に強みを見つけてそれで勝負をかけたり、そういうことの訓練の意味が一番大きいと思います。
課題を見つけてクリアしながら学力そのものを成長させることも重要ですし、負けることが明らかな勝負に突入して大怪我を負うより早めに逃げる(入試本番などでは大変役に立つ判断力です)ことが必要だったりもします。「日々自分の弱点を克服しながら、勝負の時は持っている力の範囲内で強みを生かして戦う」ということは、学校卒業後も、人生のあらゆる局面で必ず必要となる力です。
大人の仕事の上でも普通に戦ったのでは勝ち目のない勝負があったりします。そういう時、逃げるか(場合によってはこれも正解です)戦うか、戦うならどうやって自分の乏しい強みを最大限に生かして勝つか、そういう戦いのための訓練をしていると考えれば、学校の勉強も無駄とはいえないことがわかるでしょう。そのような意識を持って日々勉強してくれれば、学力向上だけでなく、人間力そのものも少しずつ確実に成長していきます。それは信じてください。